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第1章 放課後の美術室 ④眼鏡の正体

last update Last Updated: 2026-02-26 12:48:01

 美術室を出て、昇降口へ向かう途中。

 ちょうど職員室前を通りかかったとき、扉の前に立っていた担任の大澤おおさわ和佐かずさ先生が、にこっと笑いながら手を挙げた。

「よ、白浜しらはま。今日も美術室掃除か?」

「いや、昨日までで終わったよ! でも、なんかちょっと……気になることがあって、自主的に掃除してきたとこ!」

 ちょっと照れながらそう答えると、先生は「あはは」と笑った。

 相変わらずの柔らかい笑い方で、なんでもない話でも聞いてくれる感じが心地よい。

 一緒にすこし歩いた先で、先生は廊下の窓を開ける。

 風が吹き抜け、制服のネクタイがふわりと揺れた。

「気になるって、何か楽しいことでもあったんか?」

 そう聞かれて、俺はなんとなく視線を泳がせながら、小さな声で答える。

「あー……うん、なんていうか。面白い人がいてさ」

 思い浮かぶのは、あの絵を描いていた無表情の眼鏡。

 冷たくて素っ気なくて、すこし苛立つ。けれど、そいつが描く絵に惹かれる。なんだか目が離せない。

 そのことを言葉にする前に、大澤先生が「あっ」と何かを思い出したような顔をした。

「それって南条なんじょうだろ?」

「……南条?」

「そうそう。背が高くて、眼鏡かけてて。美術部の。お前と同じ学年の子やろ?」

「え、3年?」

 思わず聞き返す。

 あの眼鏡、俺と同い年だったのか。

 まったく知らなかった。同級生にあんな空気感の人がいたなんて。高校生活も3年目だというのに、驚きが隠せない。

「知らずに話してたのか? まぁ……南条は、あんまり人と関わるタイプじゃないしな」

「そっかー。南条っていうんだ、あいつ。絵が上手くて、めっちゃすげぇ!! って思って話しかけたんだ~」

 ただ名前を知っただけだ。

 それなのに、なんだかすこしだけ距離が縮まったような気がして、胸の奥がくすぐったくなる。

「ていうか、俺さ! 名前も知らずに話しかけて、勝手に興味持って、勝手にすげぇとか思って……なんか俺、変なやつじゃない!?」

 冗談めかしてそう言うと、大澤先生はふっと目を細めた。

「まぁ、白浜らしいやろ。それに、そうやって何かに惹かれるのって、悪くないで」

 そう言われて、照れ隠しにへへっと笑う。

「ほんと!? いや、なんかさ……ああやって〝特技〟があるって、すげぇなって思ってさ。俺、絵のことなんて全然わかんないけど……それでも、すごいって思えたんだよ」

「……へぇ。白浜が〝わかんない〟って言葉を使うの、珍しいな」

「でしょ~? でもほんとに、わかんないもんは、わかんないからさ!」

 先生に向かって、ちょっと肩をすくめて笑ってみせた。

 そのまま、「じゃ、またね!」と軽く手を振って廊下を歩き出す。

 ふと窓の外を見上げると、ちょうど西の空が淡く染まり始めていた。

 夕焼けのグラデーション。風の匂い。

 さっきまで見ていた、あのキャンバスの〝空〟とは違うけれど——でも、どこか、似ているようにも思えた。

 部活を早期に引退して、手持ち無沙汰だった日々。

 何かが欠けているようで、何を探せばいいのかもわからなかった自分。

 その〝空白〟の中に、すこしだけ色が差したような気がした。

 ほんのすこしだけ、心が前に動いたような。

 ……それがなんなのかは、わからない。

 でも、今の俺は間違いなく——あの〝空〟の続きを、見たいと思っていた。

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